日曜日の夕刻、社員Sさんのお母さんのお通夜に参列してきました。
故人への読経が終わり、法話(説教)がありました。
お坊さんのお話は、
「本日故人の縁をいただいて、皆さんはここに集まりました。
そして、故人を目の前にして、今、皆さんは生かされていることに
気づいてください」と言う法話でした。
~生かされている~
通夜の帰り、月刊致知2005年12月号の記事を
読み返してみました。少し長い文章ですが~
その桧具医師は、私をジロリと見て、
「死にたいそうだな」と言った。 わたしはうなずいた
実際、こんな身体では生きていてもしょうがない気が
しきりにしていたのだ。
「君は命を自分のものと思っている
それなら心臓の鼓動を速くしてみろ、止めてみろ
できないだろう。命は自分のものじゃないからだ
命は天からの預かりものだ 自分勝手に処分など
できないんだよ 預かりものなら大事に保管しなきゃいかん」
(『月刊致知』2005年12月号P37)
まさに「生かされている~」とはこの記事の如し
命は天からの預かりものなのですね
法話を聞いて気づいたことを「心多歓喜」とは親鸞聖人の教えです
心に響いて「わあ~すごい」という歓喜ですね。
Sさんのお母さんのご冥福をお祈りします。
人吉球磨川からのたより

コメント (2)
ふと思うことがあります。
一般の会社にいれば、食べ物が「元生き物」だったなんて何にも考えなかっただろうな、と。
現在、菊池山中の放牧豚の生産者さんとのおつきあいがあり、また会社の農場の愛くるしいジャージ牛を今回出荷するにあたり、本当に「ごめんなさい」と思います。
わたしのお給料のうちの一部になってくれて、私と家族が生かされている。
この仕事に就いたのも(きつくて辛いですけど 笑)「考えなさい、感じなさい、気づきなさい」ということなのでしょうか。感謝です。
でも円満にはなれない私。今日も仕事でカリカリしていたので、ここで頭を冷やさせていただきました。
有り難うございます。
投稿者: orangina | 2007年03月02日 11:20
日時: 2007年03月02日 11:20
コメントありがとうございます。
気づきがその人の成長、発展の源だと確信します。
得てして、我が社の従業員も命のことを忘れがちです。
我が社は年間10,000頭近くの牛をと畜処理しています。
生き物の生命を絶つ事を生業(なりわい)としているわけ です。この事によって、家族を養い、自分のほしい物を手 に入れたり出来るわけですよね
生命の尊厳、人間は人間以外の他の命を頂いて生かされて いることを忘れがちです。と畜業を生業としている私達さ え、そこで我が社は、毎月全体朝礼時には、獣魂碑に全員 で手を合わせることにしています。(忘れないために)
今、食育~食育と叫んでいますよね 啓発の仕方は料理の 方法とか、地産地消とか、小学生に料理を教えたり
本来は、生命の尊厳「人間は人間以外の命を頂いて生かさ れているんだよ」と言うことを教える事に尽きると思いま す。
我が社はいつでも、工場視察を受け入れています~
ゼンカイミート㈱ 萩原新一
投稿者: 匿名 | 2007年03月04日 19:35
日時: 2007年03月04日 19:35