人吉の永国寺に西郷隆盛の位牌がありますが、
歴史的にどんな結び付きがあるのか良く分かりませんでした。
(永国寺はゆうれいの掛け軸があり、ゆうれい寺として有名です。)
11月27日(火)永国寺で、西南戦争から130年
西南戦争従軍者追悼式と記念講演会が有りましたので
聴講してきました。

永国寺

相良藩鼓笛隊
当時、イギリス式相良藩鼓笛隊はとても珍しがられたとの事です。

人吉市文化財保護委員 井上道代氏
講演は、西郷さんの人物像の話でなく
西郷軍が田原坂で敗れ、敗走し、人吉に本陣を置くことで、
人吉と住民にいかに騒動を起こしたか言う話でした。
人吉大変 大騒動 大迷惑と言うのが人吉住民の本音だったのでしょうネ
西郷軍が体制建て直しのため、居座った1ヶ月半の間
どちらに味方するか?
球磨川を挟んで対峙する両軍 どさくさに巻き込まれた
住民の心境、生活は如何ほどであったのでしょうか?
肝心の西郷さんは暗殺を恐れ、居場所を転々隠密行動
そして、小林へ~
ともすると、歴史は勝者から一方的に美化されて
語られる事が多いが、歴史に翻弄された人々がいる事を忘れずに
歴史の見方、検証はしなければとつくづく思いました。
戦争とは言え、我がふる里の諸先輩達が人吉住民に与えた
苦しみ、ご無礼を私が変わって謝りたいと思いました。
今日、人吉の方々は、薩摩のことを悪く言う人がいな事が
薩摩出身の私にとってはせめてもの救いです。
戦火に住居が焼かれ、住民自らの大小便の処理で
野山が悪臭と汚物で大変だったとの話、
戦時下の住民生活をリアルに語っていました。
日本の近代化のために散っていった人々に合掌
萩原新一
